【图】日本神社探秘千本鸟居

   2015-04-22 8640
核心提示:伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされる。

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされる。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。

伏见稻荷大社是位于京都市伏见区的神社,为全国约4万所祭祀稻荷神神社的本宫。本殿位于稻荷山麓,稻荷山整体都是神域。

注释:伏见稻荷大社祭祀的是狐狸,因为相传这里就是狐狸主神的所在地。在伏见稻荷大社院内,可以看到很多各种各样的狐狸石像,人们相信狐狸是神的使者,可以保佑四季平安及五谷丰收。也有传说,日本过去猫很少,在稻田里捉老鼠的主要靠狐狸,所以农民把狐狸当成了护粮神使,当成了崇拜的对象。
日本已经进入了商业化时代,商人同样传承着对狐狸的崇拜,由於稻荷神主管丰产,许多日本的企业也敬奉稻荷神,如果某些企业效益很好,会向神社敬献一座鸟居,因此稻荷神社的鸟居和其他神社不同,经常在门前排有一列鸟居,有大有小。最壮观的就是伏见稻荷大社,几千座鸟居分成几排,从山脚一直排列到山顶,构成一条4公里长的山门“隧道”,十分奇特而壮观。


式内社(名神大)、二十二社の上七社の一社で、旧社格は官幣大社。

稻荷神社属于式内社(明神大)等级,为二十二社的上七社之一,旧时神社社格属官币大社等级。

译注:式内社(延喜式神名帐所收录的神社)
明神大(即明神大社,祭祀知名神明,自古以来就非常灵验的神社)
二十二社(神社社格之一,多为平安时代中期或后期成立,名列其中的神社大部分都集中于畿内地区,分为上七社、中七社和下八社)


宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神(しのおおかみ)を配祀する。稲荷神が農業の神であるために、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全といったご利益がある。

该神社主祭宇迦之御魂大神,同时配祭佐田彦大神、大宫能卖大神、田中大神与四大神等其他神明。由于稻荷神是农业之神,所以关系到五谷丰登、生意兴隆和交通安全等利益。


毎年初詣の時期は近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。

每年的初次参拜这里都会聚集近畿地区最多的香客。

和銅年間(708~715年)(一説に和銅4年(711年)2月7日)に、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始まる秦氏にゆかり深い神社であるが、秦氏来住以前の原信仰が基礎となったとされる。和銅以降秦氏が禰宜・祝として奉仕したが、吉田兼倶の『延喜式神名帳頭註』所引の山城国風土記逸文(但しこの風土記は延長3年(925年)に編纂の始まったもの)には秦氏が稲荷神を祀ることになった経緯が以下の様に記されている。

和铜年间(708~715年)(一说和铜4年(711年)2月7日),伊侣巨秦公受敕命分别祭祀伊奈利山(稻荷山)三座山峰的神灵,由此开始了祭祀的历史,是与秦氏关系颇深的神社,据称秦氏来祭祀之前的原始信仰即为后世信仰的基础。和铜以后,秦氏即出任祢宜和祝。不过,根据吉田兼俱的《延喜式神明帐头注》中所引山城国风土记逸文(但该风土记编撰始于延长3年(925年)),对于秦氏祭祀稻荷神的来龙去脉却有着下述记载。

秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)達の先祖である伊侶巨秦公は稲を多く持ち富裕であったが、稲を舂いて作った餅を的にすると、その餅が白鳥となって稲荷山に飛翔して子を産み社となった。伊侶巨秦公の子孫は先祖の過ちを認め、その社の木を抜いて家に植え寿命長久を祈った。

伊侣巨秦公是秦中家忌寸家族的祖先,他因稻米多而得享富裕,不过他却舂米做成大饼,并将大饼当成箭靶子,于是大饼化作天鹅飞到稻荷山,产子成为土地神。伊侣巨秦公的子孙承认先祖的过错,于是拔出土地神的神木,种植到自己家,祈求延年益寿。

延喜式神名帳には「稲荷神社三座 並名神大 月次・新甞」と記載され、名神大社に列し月次・新甞の幣帛を受けた。明治4年(1871年)には近代社格制度のもとで官幣大社に列格するとともに正式社名を「稲荷神社」とし「官幣大社稲荷神社」となったが、戦後昭和21年(1946年)に神社本庁とは独立した単立宗教法人となり「伏見稲荷大社」と改称した。これは神社本庁が伊勢神宮を本宗とするのに対し大社側として別の見解を取ったためで、神社本庁との関係は良好である。

延喜式神名帐记载“稻荷神社三座 并名神大 月次、新尝”,位列明神大社,受月次 新尝之币帛。明治4年(1871年)在近代社格制度下位列官币大社,同时将正式社名改为“稻荷神社”,成为“官币大社稻荷神社”。战后,于昭和21年(1946年)神社本厅成为单独宗教法人独立,更名为“伏见稻荷大社”。神社本厅将伊势神宫视为本宗,与之相对的大社方面则采取不同的见解,与神社本厅关系良好。

注释:延喜式神名帐:指延长5年(927年)编撰的《延喜式》卷九、卷十,为当时作为“官社”的全国神社一览。

社家には学者が多く、国学者の荷田春満も当社の社家出身である。境内には荷田春満の旧宅が保存されており、隣設して荷田春満を祭神とする東丸神社がある(元は末社であったが、現在は独立した神社)。

世袭的神职人员中学者众多,国学家荷田春满亦出自本社。大社境内依然保存有荷田春满故居,近旁尚存祭祀荷田春满的东丸神社(原本是分神社,现已独立)。


稲荷山には信者から奉納された約一万基の鳥居があり、特に千本鳥居は名所となっている。鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まった。

稻荷山有着善男信女捐献的1万余座鸟居,其中千本鸟居更负盛名。捐献鸟居的习俗源自江户时代。



無数の石碑(その数、一万基、あるいはそれ以上とも言われる)が存在し、「お塚」と呼ばれている。各石碑には「白狐大神」や「白龍大神」などといった神名が記されている。参拝者の中には、石碑の前にひざまづいて「般若心経」や「稲荷心経」などを唱えている人もおり、日本で神仏分離が行われる前の信仰(→神仏習合)が今でも保たれているのを見ることができる。

这里有着无数的石碑(据称有一万座,还有说更多的),人称“お塚”。各石碑上写有“白狐大神”、“白龙大神”等神名。有的香客会跪在石碑前念诵“般若心经”或“稻荷心经”,可以看出日本在神佛分离前的信仰(神佛习合(神佛合一))至今尚存。

这是个不可思议的地方。这里有一对石头灯笼,按照牌子上的说明,在这个灯笼面前默想着自己愿望,然后举起灯笼上的石头,如果觉得石头的重量比自己预想的轻,就预示愿望能够实现,如果觉得石头的重量比自己预想的重,就预示愿望不能够实现。

 
标签: 东瀛风情
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